2012/04/18

宮城の話。

宮城のお話。

1年たったし。
ボランティアに行こうかな?
もう、いらないかな?
と思いながらサイトなどを見てました。

そしたら、あるところはボランティアセンターが週2になっていたり、まだまだ必要というところも。

そっか。
なら、行ってみよう。
仕事が始まったら、なかなか行けないから今のうちだ!と思って行ってきました。

1日目。
初日は雨に降られるまで、お地蔵様のお掃除。
すぐ近くに仮設住宅。通りかかりのおばさんに何度もありがとう。って言われる。
みんな笑顔をくれるから、嬉しかった。
雨の後は仮設住宅を回って、今必要としているものを聞いて回ること。
小学校の中の仮設住宅にも行きました。でもほとんど人はおらず。
そうだよね。みんな仕事してるよね。
みんなの日々は始まってるものね。

帰って、みんなで夕飯作り。買出しに行って、信じられないくらいのお肉のパックを買って、煮込みハンバーグ、サラダを作成。


その後、お風呂にみんなで行って。
ボランティアしに行ったけど、まるで旅行に来たような。。。
でも、まだ帰ってきていないボランティアの人のために、ご飯作ったり、宮城でお金使うこともいいこと。

2日目。
朝、9時から出発。
私はその日16時半で帰るので作業できないかも?と言われてたけど、施設の人が工夫してくれて駅が近くにある、作業のところにしてくれてました。
付き添いセンターの人。
あら。ちょっと怖そうだよ。。。?
やっぱり、逆に迷惑かかるし、朝帰ったほうがよかった。。。?
と、思いながら、その人の車へ。
6人で作業。14歳の子もいた。(お兄ちゃんと一緒に参加。)

”よかったら作業をする前に、震災跡を見ませんか?そのほうが何でこの作業するとかの意味がもっとわかると思うから。”

そういって、寄り道して震災跡を行ってくれた。

感想は。

1年たったのに。
その言葉が浮かんでくる光景でした。
船はあいかわらず、畑の真ん中にあったりするし。
焼け野原みたいに何にもない。
 その周りでは1つも家を建てたりはしていなかった。
場所によってはよくなっているところもあるでしょう。
でも、町並みや日常が戻るのはやっぱり何十年もかかることだ。
そう思いました。

瓦礫の山がさらに大きくなった。
でも今は少し人がいたりする。釣りしてる人だったり、被災地見に来てる人だったり。
でも誰もいないよりいい。

案内してくれた人はそう言ってました。


支援物資の仕分け。それが今日の仕事。

世界中から送られてくる。
それを仕分けて、届ける。
ある程度仕分けられているので、(毛布、水、鍋。など)それをどんどん車に詰め込む。
2トンと4トントラックだったかな?
台車でせっせせっせと。

送ったら終わりじゃないんだ。
届くまで、こういう作業があるんだ。


そのことを知った日でした。


センターの人は茨城の人で自分も震災して、でも震災直後から、いろいろと動いてて、もう1年休んでない。って笑ってた。
ボランティアしに来るのは3回目です。って言ったら、まじめだねぇ。って言われた。
あなたのほうがよっぽど大真面目だよ。

ボランティアに何で来てるか聞いたら、友達に誘われたから。
周りが行ったって言って、なんだよ、そんなにすごいことかよ?自己満足じゃないのか?それを確かめるために来たって言う人もいました。

大学生、60歳を過ぎた人、社長の人、仕事してて休暇中の人。
いろんな人がいました。

もしかしたら、ボランティアって自己満足なのかもしれない。
独りよがりのことなのかもしれない。
ボランティアを利用して自分をよく見せる人だっていると思う。
でも、どんな気持ちを持ってても、そのことが誰かの助けになるんなら。
毎日毎日つらいなぁ。って思う人に少しだけでも楽にさせてあげれれば。
笑ってもらえれば。


根っこの部分は何でもいいと思うんです。


それこそ物資だって、寄付だって、祈りだって大事なことだと思う。


あたしが行くのは、
忘れないために。
自分のために。
みんながあたり前を早く取り戻せるように。

怖いと思ってた人は実はめちゃめちゃ素敵な人でした。
奥さんと子供を置いて、作業して。
週に何度かは帰って。
帰りは駅まで送ってくれた。

たくさんのありがとうを。
怖いって思ってごめんなさい。(本人には言ってないけど。)


これが私の宮城のお話。


ハンバーグ作成中。男子2人が作成。
私はポテトサラダ担当。



ほんとに何にもない。

                
窓ガラスが割れてた建物。



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